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第四話 八
風弥の背後から、突然黄色い悲鳴が聞こえたのだ。振り返ると顔を紅潮させた明日未が、目を輝かせて元希を見つめている。
「あっ、あの。私、岩田明日未って言います・・・あなたのお名前は?」
「・・・え?あ、火鳥元希です。よろしく」
元希は愛想よくにっこりと微笑む。明日未は興奮して耳まで赤くなった。
「お待たせーそろそろ戻ろうか?」
運が良いのか悪いのか、恭子と靖則も向かいの店から戻ってきた。恭子の両腕には、生八橋の箱が大量にぶら下がっていたが、それらが派手な音を立てて、アスファルトの上に着地した。風弥は問答無用で襟首をつかまれ、恭子に近くの路地へと引きずられてしまった。
「ちょっと、あれ誰!どういう事なの!説明しなさいよ!」
恭子は風弥よりも少し背が高い。見下ろすようにして、風弥に状況説明を迫った。
あまりの迫力に、風弥はことの成り行きを全て恭子に話してしまった。
「・・・ふーん、そういう事・・・」
恭子は簡単に身だしなみを整えると、風弥を置き去りにして元希達のもとへと戻った。
「初めまして。私、根本君のクラスメートの天野恭子です」
いかにもおしとやかに恭子は磨雪にお辞儀をした。自力で戻ってきた風弥と、悠介、靖則の三人は目玉が飛び出るかというくらい目を見開く。
「磨雪さんはおいくつなんですか?」
口元に手を当てて、上目遣いに磨雪を見つめる恭子。三人は凍りついた。男勝りな恭子がこんなにネコかぶっている姿なんか、めったに拝める物じゃない。しかし、命に関わるので、男子三人は必死に無表情を保っていた。
「元希さん達はこれからどうするんですか?」
一方、美少女明日未が独特の甘い声で質問する。大概の男はこれに弱いらしい。
「・・・んー・・・泊まるかどうかも決めてないんだよな・・・」
だが、元希には効果がなかった。ちらりと磨雪に視線を送るが、恭子に迫られて、それどころじゃないようである。
「だったら、私たちが泊まっている旅館に来ませんか?」
恭子がとんでもない提案をした。たまらず風弥は身を乗り出す。
「なっ・・・何で!」
しかし、風弥の反論は恋する乙女達の無言の圧力によって、封じられた。
「・・・それもいいかもな・・・」
さらに、元希は風弥の予想を裏切る発言をした。
「元希は明日大学あるだろ!磨雪さんだって仕事でしょ!」
風弥は最後の切り札を出した。
「大丈夫、一回くらい休んだって。俺もう卒業できる単位取ってるし」
「・・・来週までに、うちで仕上げれば平気」
完膚無きまでに玉砕、である。風弥はもう喋る気力すら持ち合わせていなかった。
悠介はそんな風弥を哀れに思って、必死で慰める。
「人間こんな日もあるさ・・・」
変な哀愁を漂わせて、悠介と靖則は風弥の肩に手をまわす。夕日が胸にしみるというのは今みたいな感じかな・・・と風弥は微かに思った。
幸せの絶頂にいる女子と、不幸のどん底にいる男子の一行は五時になる五分前に、無事かはハッキリしないが、なんとか旅館に辿り着いた。風弥達が到着チェックを受けている間に、元希達はフロントで宿泊の問い合わせをした。するとなんと、たまたま一部屋キャンセルがあり、元希と磨雪はその部屋に本当に一泊することになってしまった。
「偶然ってこんなに簡単に起こるものなのかな・・・」
不満一杯の風弥は到着チェックを終え、宿泊手続きを済ませた元希達と合流しロビーを移動していた。
その時、正面から物凄い勢いで現れた人影が、風弥にぶつかった。
「うわっ!」
風弥は短い悲鳴をあげた。そのまま人影に押しつぶされてしまった。
「大丈夫、根本君?」
「風弥!」
班員が声をかけた。皆が口々に風弥の名前を呼ぶ中、
「・・・ケン!」
元希の声が、一際風弥の耳に入ってきた。風弥が人影に視線を移すと、今自分の上に覆い被さっている人影が視界に入った。風弥は叫んだ。
「ケンさん!」
そこにいたのは紛れも無く、あの『美咲ケン』本人だった。
「チビ助!元希・・・磨雪まで・・・なんでこんなところに・・・」
大きく目を見開たまま、落ち着かない様子のケン。突然の再会に明らかに動揺している様子だった。
「そんなに怒る事無いじゃないの!ケン!」
ケンの後方、つまり風弥達の進行方向から薄紅色の着物を着た、見覚えのある女性が走ってきた。
「うるせえ!人を騙しやがって!」
まさか―と風弥は首を持ち上げる。
「俺は帰るからな!姉貴!」
ケンは起き上がるなり怒鳴り散らした。あの鶴祗に向かって。
「あら、風弥君じゃない・・・」
「へ・・・」
自分がこんなに真剣に話をしているのに、鶴祗の視線が全く別の所に注がれているので、ケンは目を丸くした。
「鶴祗さんが・・・ケンさんのお姉さん・・・?」
風弥の頭の中で、京都に来てから起こった一連の出来事全てが、一本の糸で繋がった。
周りの注目を浴びつつ、降着状態は続く。
京都の長い夜はまだ始まったばかりである・・・。
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