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第三話 六
「元希は、フウ君が怪我した事怒っている訳じゃないよ」
「じゃあ何で・・・」
解せない。風弥は顔で訴える。
「フウ君が怪我したのに黙っていたから、怒っているんだよ。いや、拗ねているのかな」
磨雪は微かに笑みを浮かべた。
誰かに似ている―何故か風弥の脳裏に、磨雪の笑顔が引っかかった。
しかし、風弥はすぐに本題に切り替える。
「あの、それって・・・」
「気にすることは無いんじゃないかな。元希はもう怒っていないよ。大丈夫」
「本当?」
「本当。平気だよ」
直感だった。でも、風弥は磨雪の言葉を信じてもいいと思った。
「へへへ・・・」
風弥の顔には久しぶりに笑顔が戻った。磨雪は視線を風弥に向ける。一緒になって笑った。
磨雪は最後に余分な線を消すと、黄緑の色鉛筆をケースに戻した。
「・・・フウ君。おいで」
風弥は席を離れ、磨雪の元へと向かった。脇に立ち、言われるままにスケッチブックを覗く。とたんに、風弥の顔は驚きと感嘆の表情へと一変した。
ほんの少し前まで、白紙だったページに、黄緑色の衣装をはおった自分が描かれていた。
「これ・・・俺の衣装?」
信じられないと、尊敬の眼差しで磨雪を見つめる風弥。磨雪は黙って頷いた。
「最初は、智隼君みたいな子かと思っていた。でも、実際会ってみたら全く違うから」
これが即興だとは到底思えなかった。
「ありがとうございます!」
風弥がスケッチブックを抱えたまま、頭を下げる。磨雪はメジャーを片手に立ち上がった。
「フウ君、寸法測るから、学ラン脱いで」
「・・・え、もう作るんですか?」
「次のライヴ、再来週なんでしょ。それまでに間に合わせるから」
風弥が学ランを脱ぐと、磨雪は手際よくサイズを測り、メモを取っていく。磨雪の顔は真剣そのものだった。風弥も黙ってなるべく邪魔しないようにする。
その時、玄関の呼び鈴が鳴った。
「はいはい」
演奏が止まり、ドア越しにやる気の無さそうなケンの声が聞こえた。
足音と、ドアの開閉音。今の風弥には耳だけが頼りだった。
「こんにちは。ケンさん」
「やあ、実華ちゃん」
やっぱり、彼女だ。風弥は思った。二人分の足音が、こちらに向かって段々と近づいて来る。そして、ドアノブがまわった。採寸の作業はそのまま続けられたので、風弥は顔だけをドアの方に向けた。
目の前に表れた実華は、肩の所で切りそろえた黒髪に、赤いヘアピンを二つ止めていた。切れ長の大きな瞳を長いまつ毛が際立たせ、左の目元には泣きボクロもあった。文句なしの美少女だ。
実華は風弥を見るなり、採寸中の磨雪を押しのけ風弥に抱きついた。身長は実華の方が大きく、風弥の顔は肩の辺りにうずめられた。風弥は顔を真っ赤にしている。
「カワイイーッ!磨雪兄ちゃん、この子誰?」
兄ちゃん?磨雪さんの妹?風弥の頭は混乱しだした。
「その子がフウ君だよ。実華」
ケンの背後からよく聞き慣れた声がした。それは紛れも無く朋之だった。
「こう見えて、そいつ中三だぜ。実華ちゃん」
ケンが注を入れる。実華は狐に摘まれたような顔になった。
「・・・ええっ!中学生なの?冗談でしょ、朋兄、ケンさん!」
実華は風弥の顔をまじまじと眺めた。風弥の頭の中はますます混乱していた。
「ケンさん・・・もしかして磨雪兄さんの事、風弥君に説明していないの?」
風弥の困惑ぶりを見て、朋之が素朴な疑問を投げかけた。
「いけねぇ!忘れてた・・・」
その事はケンの脳裏からすっかり忘れ去られていたようだ。
「駄目じゃないですか。風弥君パニックになっていますよ」
ケンは申し訳無さそうに、視線を外す。朋之は軽く咳払いをしてから説明を始めた。
「改めて紹介するね、風弥君。そこにいるのが、僕の四つ上の兄『野魏磨雪』」
磨雪が首を浅く下げた。二人を見比べると、本当によく似ている。思わず納得してしまった。
「そして、風弥君に抱きついているのが、妹の『野魏実華』こう見えても今、小五なんだ」
風弥は物凄い衝撃を受けた。小学生に年下扱い・・・ショックで頭の中は真っ白になっていた。
「・・・実華そろそろ放してやったらどうだ?」
磨雪は風弥を指さし言った。実華はそれをキッカケに本題を思い出した。
「そうよ、こんな事しに来たんじゃないわ!」
以外にあっさりと、実華は風弥を解放した。
「磨雪兄ちゃん!この前冷蔵庫に作り置きしておいた、煮物のニンジン、また残したでしょ!流しに捨てたって無駄よ!」
実華は磨雪をきつく睨んだ。磨雪は知らん顔をして横を向く。
「ケンさんも!洗濯物はきちんと脱衣かごに入れてください!そこら辺に脱捨てない!」
腹を抱えて笑っているケンにも、きつい一発が入った。
「ごめん、ごめん。今度から気を付けるよ・・・」
ケンは軽く受け流そうとするが、実華にその手は通用しない。
「『今度』じゃなくて『今』!さっさとやるの!」
ケンと磨雪は脱兎の如く部屋を後にした。取り残された風弥は、壁に寄りかかり笑いを堪えている朋之を見た。
「・・・いつもの事だから気にしないで。ケンさんも兄さんも生活力ゼロなんだ。実華がいなかったら、いつ餓死するかわからないような生活しているんだよ・・・」
風弥の視線を感じた朋之は、笑いながら補足説明をする。
「・・・はぁ・・・」
風弥は、なんと返事をしたらいいかわからなかった。リビングでは、実華がケンと磨雪を追い立てながら、せっせと掃除をしている。
風弥は大きく深呼吸すると、磨雪の言葉を思い出した。
第三話 七へ