第三話 伍

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第三話 伍

 

 



「・・・おかえり。ケン」
ドアの奥からやや低めの男の声がした。この人物こそ、知らず知らずのうちに、先制攻撃をかました犯人『磨雪』である。
「いきなり開けるな!」
ケンが一番重症の鼻を押さえながら怒鳴る。
「・・・じゃあ、開ける」
やる気の無さそうな低い声で呟くと、磨雪はドアを完全に開いた。ケンよりも背丈は大きく、うっすらと青みがかってはいるが、白同然のやや長めの髪の毛。肌は白く、右頬のほぼ中央にホクロがあり、寝巻きと思われる浴衣から覗く手足は、スラリと長く伸びていた。
「・・・・・・」
磨雪は無言で風弥に視線を向けた。磨雪の空気に飲まれた風弥は『蛇に睨まれた蛙』の如く身動きが取れなかった。
「・・・ケン・・・この子誰・・・?」
磨雪は眠たそうに大あくびをかます。手にはっきりと残るシーツのしわから察して、ついさっきまで寝ていたのは間違いないだろう。
「こいつが『フウ』だよ。買い物の途中でたまたま会ったから、連れて来たんだ」
「・・・そうか、この子が・・・」
やや遅いテンポであくび交じりに磨雪は納得した。
「いつまで寝ぼけているんだよ!さっさと顔洗って来い!」
ケンは磨雪を部屋の奥に押し込む。当然、風弥も後についてきているものだ。と、思っていたケンは風弥の気配がないのに気づき、玄関に舞い戻った。
・・・・そこには固まったままの風弥が立ち尽くしていた。


磨雪の本業はデザイン事務所でのアシスタントだ。その傍ら『花鳥風月』のステージ衣装のデザイン・製作を引き受けている。ケンとは同い年で高校の同級生、そして、一番の親友でもある。この奇妙な共同生活は高校生の時から続いているのだった。
風弥はビクビクしながらケンの後に続いた。キレイに片付いた居間を通過したとき、風弥は彼女が片付けているものだと解釈した。
通された部屋は、片隅に大量の本が平積みされていた。ベッドもあり、仕事用らしき机もある。ここは磨雪の自室のようだ。
磨雪は手じかにあるイスを拾い上げ、部屋の中央に置いた。当人は仕事机のイスに腰掛け、本棚からスケッチブックを抜き取る。
「・・・ああ、座って」
磨雪は中央のイスを指差した。風弥は恐る恐るイスに座る。イス同士は二メートル程の間隔があいていた。磨雪は机の引き出しから、色鉛筆やら、練り消しゴムを次々と取り出していた。
「・・・・・・」
風弥は黙ってその行動を眺めていた。
暫くして壁越しにギターの音が聞こえ始めた。暇を持て余しているケンが弾いているのであろう。何の曲かはわからなかったが、それは心地よい旋律だった。
「・・・フウ君、身長いくつ?」
突然、磨雪が質問してきた。
「・・・え、あ、確か一五三cmです・・・」
ギターの音色に集中していた風弥は、磨雪の言葉に慌てて振り返る。そして、質問にとりあえず正直に答えた。
しかし、磨雪からの反応は無かった。磨雪はスケッチブックの白紙のページを開くと、鉛筆立てから削りたての鉛筆を摘み取り、何かを描き始めた。
「・・・あの、磨雪さん・・・」
静寂に耐え切れずに風弥が口を開く。
「・・・何だい?」
スケッチブックから視線を外すことなく、磨雪は返事を返す。
「何を描いているんですか?」
「デザイン画」
「は?」
「ケンから君の事は聞いていた。智隼君の靴で足を痛めたんだって?」
「・・・・・・」
返答できなかった。話題にしたくない事にふれられて、風弥はこの場から逃げたくなった。
「うかない顔しているね。何かあったの?」
磨雪は視線をそらすことなく風弥の表情を読み取った。鉛筆の走る音だけが、延々と部屋に響いている。
「・・・あの・・・ですね・・・」
風弥は日曜日の出来事を語った。足を痛めた事を元希に見つかった事。そして、元希が怒っている事。風弥は包み隠さず、全てを磨雪に話した。
再びあたりは沈黙に包まれる。不規則な鉛筆の音と、微かに流れるベースの音を除いて。
「・・・大人気ないな。元希も」
うつむき加減だった風弥は顔を上げた。

 

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