第三話 壱

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第三話 壱



日曜日の昼間。一日で最も暑い時間に、ライヴハウス『space room』の観客達も熱くなっていた。
満員御礼のステージでは、四人の男達がパフォーマンスを繰り広げている。
軽快なスティックさばきを、惜しげもなく披露しているのは、バンド『花鳥風月』リーダー、ドラムの『火鳥元希』だ。
ベースを肩にかけ、狭いステージの上を走り回る金髪の男が『美咲ケン』。
この凄まじい熱気の中で、涼しい顔でシンセサイザーを操るのは『野魏朋之』。
三人の息の合った演奏に観客の誰もが酔いしれていた。
そして、いよいよ最後の曲『空中楼閣』の演奏が始まった。観客達は目の前のステージにいる、小さな歌い人を静かに見守っていた。

  つかめそうで つかめないモノと
  つかめなさそうで つかめないモノ
  どっちがイイかと 友達に聞いたら
  『何だそりゃ?』と 大笑いされた

  言いたかったのは こういう事
  結局 手に入らないならば
  完全に 諦めるか
  わかっていて もがくか
  どっちを選ぶかってこと

両手でマイクを握り締め、丁寧に詩を紡いでいく。額に流れる汗をぬぐう事も忘れ、小柄な少年はただひたすらに、心を込めて歌い続けた。
彼こそがヴォーカルの『フウ』こと、『根本風弥』なのだ。
一ヶ月と少し前、ヴォーカルとギターの『五十嵐智隼』が交通事故に巻き込まれ、ライヴが危機にさらされた時、元希がたっての希望でステージに上がらせたのがキッカケだった。 智隼は当分活動出来ないとの事で、フウはヴォーカルを続けている。
初めは色々と問題があったが、今はメンバーとも仲良くやっている。
今日はフウにとって三回目のライヴだ。口コミとインターネットでフウの情報が知れ渡り、フウの歌声を求める人々が今回のライヴに押し寄せた。

  もがくだけ もがいて
  もがくだけ もがいて
  ほんの少しの希望にかける
  『if』を頭の片隅に置いて
  もがき続けようじゃないか

そして、フウの歌声に引き込まれていった。
フウ自身もライヴを重ねることに、少しずつだが確実にヴォーカルとして成長していた。

  爪くらいは かすることが
  出来るかもしれないよ

最後の曲を歌い上げると、マイクをゆっくりと口元から離した。観客はそれを合図に、沸きあがるようにステージの四人に歓声を送った。
「・・・ありがとうございました・・・」
フウは深く深く一礼をした。
フウは階段をかけあがり、出入り口に向かった。そこにある受付に腰を落ち着けている男に声をかけた。
「土倉のおっちゃん!」
土倉というのがその男の名前だった。
「おっ、ご苦労さん。フウ坊」
土倉は豪快に笑った。『土倉耕二』彼こそがこのライヴハウス『space room』のオーナーである。
風弥は『フウ』として二回目のライヴ参加時、土倉の存在を知った。土倉はライヴハウスの他に、このテナントビルの上の一、二階フロアを占めている喫茶店『KUUKAN』も経営している。元希はそこでアルバイトをしていた。その縁で『space room』は『花鳥風月』のライヴ本拠地ともなっている。
土倉の肌は浅黒く、がっしりとした体格だった。顎にうっすらと髭も生えている。歳は三十九なのだが、フウは自分よりも倍も歳をとっている土倉を『おっちゃん』と呼んでいた。
「フウ、お疲れ」
「今日のライヴも良かったぜ、特に最後!」
他のスタッフが集まってくる。フウはすっかり打ち解けていた。
「へへへ・・・ありがとうみんな。じゃあ俺、元希達のとこ戻るね」
風弥はライヴ会場に戻るべく、くるりと方向転換したが、
「うわっ、とっとっと・・・」
衣装の裾を踏んでしまい、前につんのめった。だが、何とか踏みとどまり転倒は免れた。
しかし一部始終を目撃していた土倉を始め、その他のスタッフは冷や汗モノだった。
「危ねえなぁ・・・ちゃんと前見て歩けよ!」
土倉は安堵の溜息をつきながら、頭を豪快にかいた。
「はーい」
フウは土倉の忠告通りに、慎重に階段を下っていった。


 

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