第六話 壱

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第六話 壱


 


修学旅行最終日の朝が来た。旅館『はなかがり』のロビーでは、出発の準備を済ませた学生服姿の生徒達が続々と集まって来た。一行はこれからバスで京都市内に向かうのだ。
その中に一人灰色のパーカーにジーンズという明らかに私服姿の風弥が紛れていた。
「で、その赤い着物の舞妓さん凄く歌上手かったんだぜ・・・。見れなくて残念だったな」
悠介が昨日の晩の出来事を興奮気味の口調で話す。悠介の後を追うように靖則達も口を揃えて夜の出来事を絶賛していた。
「そっか・・・俺も見たかったな・・・」
風弥はそ知らぬ顔をして相槌を打った。クラスメート達は例の舞妓の正体が風弥だとは微塵も思っていない様子だったので、風弥は正直ほっとした。
「根本!起きても大丈夫なのか?」
風弥の存在に気が付いた担任の広田が心配そうな面持ちで近づいてきた。
「はい・・・昨日よりは・・・」
風弥は軽く頷く。だが、広田はいつもより風弥に元気が無いような印象を受けた。
「・・・残念だな。最後まで参加できずに・・・」
それまで騒がしかった辺りが急に静かになった。
昨晩倒れて以来、風弥の体はまだ本調子ではなかった。そのため、風弥はみんなと離れ別行動を取らざる得なくなってしまったのだ。校長と担任の広田の特別な計らいで、体調が回復次第、元希達と戻ると言う事で話がついたが、一人で旅館に残る事になった風弥を気遣って、みんなは黙り込んだのだった。
「でもいいなぁー。元希さんと一緒なんでしょぉ・・・」
状況をわきまえない明日未が首を突っ込んだ。沈んだ重い空気がぶち壊れる。
「何言ってるのよ、明日未!」
すかさず恭子が明日未の口を塞ぐ。明日未が苦しそうにもがいた。
「ごめんね。根本君・・・わざとじゃないのよ。わざとじゃ・・・」
ごまかし笑いをしながら必死の弁明をする恭子。その様子がおかしくて、風弥は思わず吹き出した。心配されるより、そのくらいの態度で接してくれる方が風弥にとって楽だった。
「大丈夫、気にしてないから・・・」
そして、改めてみんなに対し一礼する。
「じゃあ、俺はこの辺で・・・元希達の所に戻るよ」
風弥は名残惜しそうに歩き出した。そんな風弥の背中に悠介が声をかけた。
「風弥!学校でな!」
足を止めずに風弥は手を振り続けた。みんなの姿が見えなくなるまで・・・。


ここは『はなかがり』の別館の一室。
風弥はノックもなしにいきなり上がりこんだ。襖を開けると、蚕の如く布団に包まった磨雪が目の前に転がっていた。風弥は大柄な磨雪を踏まないように、脇をまわってテーブルの前に腰を下ろした。部屋を出る時に、テーブルを埋め尽くしていた朝食の膳たちは、きれいさっぱり片付けられている。
洗面台から戻ってきた元希は、軟らかいタオルで口元をおさえながら、テーブルを挟んで風弥の目の前に座り込んだ。
「・・・どうだった?」
元希は強張った表情で問いただす。風弥はとたんにうつむいた。
「・・・・・・なんてな!」
しばしの沈黙の後に風弥が満面の笑顔を持ち上げ、嬉しそうにVサインをした。それは元希にとって、意外な行動だった。
「ばっちり!みんな何も疑わなかったぜ!・・・どうした、元希?」
呆然としていた元希が、はっと我に返る。
「・・・いや、風弥にしては珍しいなって思って・・・」
「何が?」
解せない表情で風弥が首をかしげる。
「修学旅行、悠介君達と帰れなくなったっていうのに、なんか喜んでないか?」
体調が悪いなんて大嘘だった。風弥の体はもう何とも無い、仮病を使って京都に残ったのだ。
「・・・そりゃあ、最後まで参加出来ずに終るのは残念だけど、鶴祗さんがどうしてもって言うから・・・」
おもむろに風弥は茶筒を手に取り蓋を開けた。ほのかに香る茶葉を急須に入れる。
「・・・元希だって、楽しみにしているんだろ?」
急須を受け取ると、元希はポットのお湯を注ぐ。そして、丁寧にお茶を二つの湯のみに注ぎ分けた。
「楽しみにしない訳がないだろう」
温かい食後のお茶を受け取ると、風弥は一口喉に流しこむ。二人は顔を見合わせたまま笑った。


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