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第六話 八
土曜日の朝を迎えた。
「お世話になりました」
風弥達五人はそれぞれが、大なり小なりの荷物を抱えていた。玄関ロビーでチェックアウトを済ませると深々と頭を下げ、鶴祇に別れの挨拶を述べる、
「ごめんね。本当なら駅まで見送りに行きたいんだけど、まだ仕事があって・・・」
若女将の格好をした鶴祇が名残惜しそうに溜息をつく。女将も色々と忙しいのだ。
「今度はゆっくりとお話しましょうね鶴祇さん」
「ええ、そうね朋之君」
その瞬間、なぜか朋之と鶴祇の間に同じ類の空気が流れたような気がした。特にそれを敏感に感じ取ったケンは、防衛本能から磨雪の影に隠れる。
「・・・どうかしましたか?ケンさん」
当の朋之は全くわかっていない様子だった。
「・・・別に・・・」
磨雪の影から半分だけ顔を出し、ケンは呟いた。
「・・・そろそろ行こうぜ、いつまでもこうしているのも、その・・・なんだしな!」
一息ついてからケンは身を翻し、一人で出入り口の方向に向かって歩き出した。完全な照れ隠しである。
「またな!姉貴!叔父さんと叔母さんにも宜しく!」
カバンを掛けた肩越しに、ケンは振り返った。晴れやかな笑顔と共に。
「たまには連絡よこしなさいよ!」
見送る鶴祇も今までで一番優しい表情だった。
一同はゆっくりとした足取りで、駅に向かう道を歩いていた。
「元希・・・大丈夫?」
風弥はどことなく嬉しそうに元希を見つめる。元希は目元が隠れるように薄紫のサングラスをかけていた。
「・・・ん・・・なんとかな・・・」
言葉からいつもの調子が感じられない。昨晩のささやかな打ち上げで、元希は鶴祇達に酒を飲まされたのだ。それ程多くはなかったが、元希には酒が入ると泣き上戸になるという癖があり、さんざ泣いたせいで目が腫れあがってしまったのだった。
「・・・しかし、昨日の元希は凄かったよなぁ。チビ助!」
ケンは元希の肩に手をまわし、風弥に視線を送った。
「そうそう、泣き顔の元希、初めて見たよ!」
風弥は大げさにおどけて見せた。舞妓姿をからかった仕返しである。
「やめろよ二人とも・・・本当にこっちは何も覚えてないんだから・・・」
元希は恥ずかしそうに、ケンの手を振り払う。
「・・・そんなに凄かったのか?」
ライヴ終了後に速攻で旅館に戻ってしまった磨雪は、事の顛末を知らない。
「そうなんですよ。磨雪さん」
そんな磨雪のために、風弥が説明を開始しようとしたときだった。
「・・・本当にもう帰るのですか?」
不満そうに声を上げた人物がいた。四人は一斉に視線を向ける。
「何だよ朋之、どうした?」
突然の事に、ケンが首をかしげる。
「ずるいですよ、皆さんだけ京都を満喫して!僕も観光したいです!」
朋之は子供みたいに頬を膨らませ、ケンを睨んだ。確かに朋之としては、京都まで来たのに、旅館とライヴ会場の往復のみとはいささか寂しい。
「そんな事、急に言われたって・・・」
「そういえばケンさん、俺に何でも奢ってくれるって言ったよね!」
困り果てるケンに、風弥からの更なる追い討ちがかかった。これには一同が驚いた。
「何だよ、チビ助まで。よってたかってよぉ!」
八方塞がりの状態で、元希に救いを求めた。だが、あいにく元希は機嫌が悪い。仕方なく加勢を磨雪に頼るが、さらに駄目押しの一言が返って来た。
「・・・じゃあ、二手に分かれようか。俺と元希が新幹線の席をとっておくから、それまで自由行動っていうのはどうだろう?新幹線の時間が決まり次第、連絡入れるから・・・」
「ちょっと待て、磨雪!お前、楽しようとしてないか?」
冗談じゃない。と、ケンは表情で訴えた。しかし、風弥と朋之は大喜びである。
「やったぁ!僕、一度行ってみたい甘味処があるんですよ!」
結局のところ、朋之の目的は菓子らしい。嬉しそうにケンの腕に手をまわしてぐいぐいと引っ張った。
「おい、こら!まだ決まってないぞ、朋之!」
「がんばれよ、ケン!」
元希と磨雪は悠々と三人を見送る。
「ちくしょう!他人事だと思って!」
喚くケンの少し後方に風弥がついて歩く。
「・・・ケンさん!」
風弥は何気なくケンの脇に並んだ。
「何だよ、チビ助」
「・・・やっぱ、何でもない!」
そう言うと風弥は、突然笑い出した。山のように言いたい事がたくさんある。ケンの過去、鶴祇の事、ケンの叔父さん達について、鶴祇のバンドに関して。
でも、たくさんありすぎて言えなかった。
「何だよ、気味悪いな!」
朋之に引きずられながら、ケンは解せないという表情をあらわにしている。
ケンには悪い気がしたが、嬉しくて笑いが止まらなかった。
『花鳥風月』のベース、底抜けに明るい『美咲ケン』しか見せなかったケンの、知られざる一面を垣間見る事が出来た。
修学旅行がダメになってしまったのは惜しかった気がする。
けれども、こうしてこの場にいられるということはとても幸せなことだ。
・・・風弥はそう感じながら歩いていた。
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