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第六話 伍
風弥は落ち着かない様子で、もう十分以上手洗い場の前にかけられている鏡と、にらめっこを続けていた。
日は沈み『BLOOM・TIME』のライヴは既に開始されていた。
喫茶店の店内を改装した特設ステージの上で、鶴祗達『BLOOM・TIME』の四人は、次々と曲を披露していく。
茶髪をおろし、ピンク色のキャミソールに真っ白なジャケットを羽織った鶴祇は、流れるような手つきでギターを操りながら、熱唱する。
『BLOOM・TIME』はツインヴォーカルで、もう一人はキーボードの『真子』。
その他にベースの『絵利果』ライヴ会場になっている、この喫茶店のオーナーの娘だ。そして、ドラムの『壱乃』。観客の殆どが、鶴祇やバンドメンバーの顔見知りだ。
その中に紛れて、磨雪も後ろの方で観衆の一人となっていた。
『花鳥風月』の登場予定時間は、刻々と近づいていた。
風弥と元希、ケン、そして学校を切り上げて合流した朋之の四人は、調理場の奥で待機していた。薄いドア越しに、熱い音楽が耳に突き刺さるように聴こえてくる。嫌がおうにも、テンションが上がっていくのがわかった。
「風弥、いい加減にしろよ・・・」
見かねた元希が忠告を入れる。風弥は背後にいる元希の方に顔を向けた。
灰色のパーカーにジーンズという自分の私服。そして、元希が持ってきた薄紫色のサングラス。ステージに上がる前にちゃんと衣装を着て、髪型も変えて、青いサングラスをして『根本風弥』から『フウ』へと完全に気持ちが切り替わるのが当たり前の儀式だった。
だが、今日はいつもの服に、目が透けて表情がはっきりと解かってしまうサングラス。『風弥』と『フウ』のどちらでもない中途半端であり、変な感じだった。
それゆえにやっと慣れてきた風弥の『ステージで歌う』という感覚が完全に麻痺して使い物にならなくなってしまったのだ。
「どうしよう・・・俺、出来るかな・・・」
声が上ずる。緊張と動揺が混在して、完全に風弥は冷静さを失っていた。
「しっかりしろよ、チビ助!」
ケンは風弥の両頬を摘んで横に引き伸ばした。風弥の白い肌は餅のようによく伸びた。予想以上の軟らかさに面白くなり、ケンは調子に乗って引っぱった頬を上下に動かした。
「何するんですか、ケンさん!」
「『ケンさん』じゃなくて、『ケン』だろ!『フウ』!」
その瞬間、風弥の表情が一変した。『フウ』になっている間は、より『フウ』になりきるために、『ケン』『朋之』と呼ぶ約束になっていた事を思い出したのだ。
「大丈夫だよ。昼間あれだけ練習したじゃない!」
「・・・『朋之』・・・」
昼間のリハーサルを思い起こした。雑談を交えつつ、ステージの進行に関する事細かな事まで綿密に打ち合わせをしたのだった。
「大丈夫、そんなにかたくなるなって・・・」
脇から元希も励ましの言葉をかける。
「・・・うん」
風弥は深く頷いた。さっきまでとはうって変わって、落ち着き払った態度で・・・。
ステージでは七曲を消化し、四人が一端楽器から離れマイク片手に小休止を兼ねたトークに突入していた。
「今日はスペシャルゲストが来てるんや!」
壱乃が長い黒髪を掻き分けながら、笑顔で言った。そんな事を知らされていない観客達は一斉にざわめきだす。
「みんながよーく知っとる人物が混じっておんねんなぁ、鶴祇・・・」
絵利果の言葉によって、観客の視線は一斉に鶴祇の方に集中した。
「・・・ぱっと見、わかるかなぁ・・・なんせ六年ぶりで私ですらびっくりするくらい変わっちゃったから・・・」
鶴祇が悪戯っぽく笑う。全く検討のつかない観衆達は、一体誰の事かとお互いに顔を見合わせている。
「じゃあもったいぶってないでさっさと呼ぶか!」
鶴祇は調理場のドアに視線を送った。
「『花鳥風月』のメンバーです!みんな、拍手!」
鶴祇に促され、ステージ上の三人も含めた全員が拍手を送る。
タイミングを見計らって、ケンが一番手でドアから飛び出した。
観客からは、驚きの声があがった。「嘘?」「マジで!」などと言う声が、あちらこちらから聞こえてくる。
懐かしい正真正銘の『美咲ケン』の登場により、にわかに浮き足立つ観客を横目に、フウ達もステージへと上がった。四人はステージ中央に招かれ、鶴祇達に囲まれるような立ち位置になった。
「驚いた?」
観客に呼びかけると、鶴祇は嬉しそうな表情でケンの肩に手をまわす。するとケンは恥ずかしそうに顔を真っ赤にした。
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