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第二話 伍
「こら、待ちやがれ!朋之!」
朋之は黙々と階段を駆け下りる。そのスピードは段々と増していた。
ケンがやっとの思いで朋之の腕を掴んだ時には、三階の元希の部屋から、一階にある郵便受けの所まで下りきっていた。
ようやく足を止めた朋之は、肩を大きく上下に揺すり呼吸を荒げていた。ケンの手を離そうと腕を乱暴に振り上げる。
「どうしたんだよ!お前、変だぞ!」
明らかに動揺している朋之に、ケンは必死で呼びかける。
朋之はケンを睨む。ケンが一瞬怯んだ隙をついて、朋之はケンの腕を振り払い、再び走り出した。
「・・・朋之!」
ケンが叫ぶ。
しかし、朋之はすぐに大きな人影にぶち当たった。驚いた表情で、朋之は人影の正体に見入る。
「・・・元希・・・さん・・・」
朋之は元希にしっかりと押さえつけられていた。元希は非常階段を使い、先回りをしていたのだった。後からケンも合流する。
「落ち着け、朋之」
元希がそう口にした瞬間、朋之は元希を睨み、元希めがけて拳を繰り出した。
朋之の拳は元希の顔面を直撃し、元希は近くの植木の中に派手に倒れ込む。ケンは面食らってその場に突っ立ていた。
「僕は落ち着いています!」
言葉とは裏腹に、朋之は完全に冷静さを失っていた。
元希は殴られた左頬を押さえつつ、植木からゆっくりと起き上がる。
「智隼が、『朋之に謝ってくれ』って・・・」
つり上がっている朋之の眉が僅かに動く。元希は微かに赤くなっている頬をさすりながら、朋之に視線を合わせた。
「・・・僕には連絡来ないんですが・・・」
朋之の行動は、幼子が駄々をこねているようなものだった。
「・・・やっぱさ、しづらいんじゃないの・・・?」
我に返ったケンが、溜息交じりに言った。
「元希さんには何回もメール出来て、どうして僕には出来ないのですか!」
当り散らすように、朋之はケンを睨んだ。ケンは朋之の気迫に臆することなく続ける。
「そりゃあ智隼が、一番お前に『申し訳ないな』って思っているからじゃないの?」
ケンは軽い口調で言放った。しかし、朋之の表情は険しい。
「智隼は、責任感の強い奴だから・・・自分の事故で、俺達に迷惑かけるのが、物凄く辛いんだと思う・・・」
ケンの言葉を引き継ぐように、元希が話し始めた。朋之は警戒して、身構える。
「自分一人の所為で『花鳥風月』の活動が止まる・・・それこそが智隼にとって一番苦しい事なんじゃないかって・・・俺は感じたんだ」
「・・・・・・」
朋之は無言で耳を傾けていた。側にいるケンも同じだった。
「だから、俺は『花鳥風月』を続けようと思った。・・・これはあくまで俺の個人的な考えであって、強制する気は無い・・・」
「じゃあ、どうして僕を引き止めるんですか!」
朋之が最後の攻撃に出た。
「・・・お前に誤解されたくなかったから」
朋之の瞳が大きく見開く。
「さっきのあれじゃあ、唐突すぎたよな・・・。納得いかないのは無理ない。」
元希が照れくさそうに頬をかいた。
「俺が言いたいのはそれだけだ。悪かった・・・ごめんな・・・朋之」
再び沈黙が訪れる。柔らかな春風が吹きぬけた。
「・・・・・・」
暫くして、朋之は元希のアパートに向かって歩き出した。
「朋之・・・」
元希とケンは、後を追って歩き出した。すると、朋之はおもむろに足を止める。
「・・・元希さん・・・さっきは殴ったりして、申し訳ありませんでした・・・」
朋之は背中越しに言った。気まずくて、肩を落とす。
「大丈夫だよ、このくらい」
元希は笑いながら赤みの引いた頬をさする。とっさに受身を取ったため、大したケガにはならなかったようだ。しかし朋之は、まだ自分のことを許していないようだ。
それを悟った元希は、朋之に走り寄ると朋之の背中を軽く叩いた。
「・・・これで『おあいこ』だな!」
元希がにやりと笑った。
「・・・はい」
ワンテンポ遅かったが、朋之はいつもの笑顔で頷いた。
元希は玄関のドアを開けた。
「風弥、待たせたな!」
「おいチビ助、俺の分のパスタ食ってないだろうな?」
後ろからケンが声をかける。
しかし、部屋の奥にいるはずの風弥から返事は無い。
「なんだぁ?寝ちまったのか?」
ケンは首を傾げつつ靴を脱いだ。
リビングに上がり込んだ三人は、すぐさま異変に気づく。
部屋の中は、三人が部屋を飛び出して行った時と同様に、食べかけの食事がそのまま残っていたが、風弥の姿だけが忽然と消えていたのだ。
「風弥!」
元希の顔が青ざめる。それと同時に寝室へと駆けだしていた。ケンと朋之もそれぞれ手分けをして他の部屋を探しに行く。だが、どの部屋にも風弥はいなかった。三人は再びリビングに集まる。
「・・・ったくチビ助め・・・どこ行きやがった?」
「外でしょうか・・・?」
朋之が玄関に視線を向ける。すかさず、元希が答えた。
「いや、靴はあった。他にどこか探していない所はあるか?」
「こんな狭い家にまだ隠れられる場所なんてあるのですか?」
一瞬、元希とケンの動きが止まった。そして二人は全く違う反応を示した。
「元に戻ったと思ったら結局それかよ!」
声を出して大笑いをしているのはケンだ。
「・・・悪かったな。狭くて・・・」
反対に元希は、わざとらしく眉間にしわを寄せていた。
「ひーっ、苦しい」
ケンはまだ腹を抱えて大笑いをしていたが、調子に乗ってテーブルに足をぶつけてしまった。その拍子にテーブルの上のジュースが倒れる。
「うわっ、なにやってんだよ、ケン!」
元希が慌てて台所に拭くものを取りに行った。しかし、元希はその行動に違和感を感じていた。
「悪い悪い・・・」
ケンの笑いはまだ収まらない。元希はクロスを片手に、台所から戻ってきた。テーブルの上を拭こうとテーブルに近づいた時、元希はあることに気がついた。
「・・・元希さん?」
「お手柄だ!ケン!」
元希はケンにクロスを放り投げると、一目散にベランダに向かった。
ケンと朋之は元希の奇怪な行動に首をかしげていた。
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