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第七話 伍
智隼が復帰出来ない間は、まだ自分が『フウ』としてステージに立つ事が出来る。そんな事を考えてしまった自分を恥じた。
だから智隼に会うのが怖かった。どんな顔をすればいいのか、何を話せばいいのだろうか。
一緒に渡そうと思ったあの笹の葉はすっかり水分を失って、勉強机の引き出しの中で干からびてボロボロになっていた。
・・・会場は大きな拍手に包まれていた。
たくさんの声援が幾重にも重なり、大勢の数え切れないくらいの観衆達が自分を見ていた。
『フウ』になった自分だけが、暗闇の中スポットライトを浴びて熱唱している。汗だくで、ヘトヘトで、今にも倒れそうだったが、風弥は楽しいと感じていた。
もう少しで、あと少しでフィナーレを迎えるところだが、神様がいるものならいつまでもこのままでいたいとお願いしたかった。
しかし突然、観衆の一人が席を外し、出口に向かって歩き出した。
その客は悠介だった。
一番遠くの席にいるはずなのに、何故かフウには帰っていく様子がはっきりと見てとれた。
まだライヴが終了していないのに、他の観衆達も悠介の後を追って次々と帰り始める。
それは皆、風弥のクラスメート達だった。
それでも歌い続けようとしたが、いつの間にか周りには誰もいなくなってしまった。
ケンや朋之、元希さえも・・・。
「・・・またかよ・・・」
風弥は不満そうに呟いた。額からは脂汗がにじみ出て、恐怖で体中の震えが止まらない。少し落ち着いてから、視線を勉強机の上におとすと、まだ親には見せていない『第一回進路希望調査表』のプリントが放置されていた。
プリントを貰った月曜の夜、悠介と康雄に話を訊いた火曜の夜、そして今夜と、風弥は連続で同じ夢を見続けていた。
風弥がベッドから起き上がり、雨戸を開けると、空は薄紫色にぼんやりと光っていた。
肌寒いくらいの空気が、今の風弥には心地よかった。東の方向を見ると、太陽もまだ眠っている。
眠気など吹っ飛んでいるが、今起きてもやる事がないので、風弥はもう一度横になった。
この夢は自分自身からの警告だった。
わかってはいる。しかし、それはどうしようもない恐怖だった。
一人取り残される孤独、静寂、不安、寂しさが胸を痛いくらいに締め付ける。
周りには相談できずに、いつもと変わらず振舞って・・・いつかおかしくなってしまうのではないかと、風弥は一人怯えていた。
今日は講義が無い日だが、卒論の資料として頼んでおいた本が届いたという連絡を受けて、元希は大学の図書館にいた。本の登録を終えて、図書館を後にした元希の、背後から聞き慣れた声がした。
「おーい、元希!」
振り向くと、黒いスーツに身を包んだ小柄な青年が満面の笑みで手を振っていた。
「どうした?今日は講義無い日じゃなかったっけ?」
この青年の名前は『貝田融』大学のクラスメートで、元希と融は大学一年で知リ合い、以来何かと親しい仲なのである。
「図書館に用があってな。それより融こそ珍しいじゃん。スーツなんて」
融は元希よりも大分小柄である。しかも童顔なのでラフな格好をしていると、しばしば年下にみられる。しかし、スーツ姿の融は歳相応に元希の目に映った。
「ちょっと、就職先に行ったもんだからさ」
小恥ずかしいのか、融の顔は僅かに赤くなった。
「そっか、就職決まったんだっけな!おめでとう」
「サンキュー。ところでさ、お前はどうなんだよ?」
融は元希のわき腹を小突く。
「まだ、決まってないんだろ?さっき学生課の事務員さんたちが噂してたぜ」
「・・・俺?俺は・・・その・・・色々だ」
既に元希の心は決まっている。
だが、まだ恥ずかしさがあり、融や大学側には話せなかった。
「何だよ、何だよ、ハッキリ言えよ!」
しびれを切らした融は、元希の肩にしがみつく。本人としては覆い被さっているつもりらしいが、体格の差からか第三者の目には、じゃれあっているようにしか見えないのである。
「ちぇっ・・・いつもそうやってはぐらかすんだから・・・」
そういう言動が、彼をもっと子供に見せるのであるが、元希はあえて黙っていた。
「ところでさ、今日これからサークルで、拓也達と飲むんだけどさ、暇なら来いよ」
「えっ、今から?」
元希は両手を顔の前で合わせ、こう即答するしかなかった。
「すまん!今月金無くて・・・また今度誘ってくれ!」
先週の京都のツケがここに来てまわってきたのだった。元希は酒に弱いが、決して飲み会が苦手なわけではない。
「ちぇっ、今度こそ元希の酔っ払ったところ拝んでやろうと思ったのになぁ。残念」
そういう事は本人の前では口にするなと思った元希だった。
第七話 六へ