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第九話 参
風弥は今までにない雰囲気に、飲み込まれそうになっていた。パイプ椅子に腰をおろしてはいるが、着替える事も忘れ、青いサングラス越しに事態を傍観している。
ケンは向いに立つ朋之を睨み続けていた。二人ともステージを降りてから、ずっとこの調子なのだ。特にケンは今までに見たこともないような物凄い形相をしている。
一歩も引かない態度。普段の、朋之にあしらわれているケンとは、全くの別人の思えた。
入り口の側には朋之との約束通り、智隼が待っていた。しかし、あまりの状況に口を挟む余地がなく、せわしなく視線を動かしている。
双方は一言も発せずに、降着状態が続いていた。が、
「・・・朋之。お前、なに勝手な事してんだ!」
均衡を破り、低い声でケンが怒鳴った。あまりの迫力に当事者ではないが、風弥は恐怖を感じてしまった。だが、朋之は動じない。
「だって・・・智隼がいるから・・・」
自分の主張を通そうと睨み返す朋之。
「『だって』じゃねえ!俺は演奏中にステージを降りるなって言ってんだ!」
「まあまあ、落ち着けって・・・」
着替えを済ませた元希が、興奮気味のケンをなだめる。ケンは息使いの荒いまま、今度は止めに入った元希を睨んだ。
「今回はお客さんからブーイングとかも来なかったし、大した騒ぎにならずに済んだからいいじゃないか・・・」
「甘やかすな元希!こいつ、つけあがるだけだぞ!」
ケンは、元希一人が混乱の責任を謝罪した事にも腹を立てていた。
「朋之の気持ちもわかってやれよ・・・」
大事なライヴが台無しになった事が、ケンには許せなかった。それでも、誰よりも智隼を待っていたのが朋之だという事は、ケンも十分すぎるくらい承知している。
「・・・今度やったら承知しないからな!」
不満そうな顔のケンだった。だが、何とか収まりそうだったので、風弥と元希も安堵のため息をついた。そしてケンは智隼の方に顔を向けた。
強張った表情のまま、智隼に近づくと、ケンは智隼の頭を撫でるように手を乗せた。
「・・・心配してたんだぞ」
「すんません・・・色々迷惑かけて・・・」
智隼はうなだれたまま、顔を上げようとはしなかった。
「まさか、朋にバレるなんて思ってなかったんで・・・」
智隼は黒い帽子を掴んだまま、脇にいる朋之を横目で見る。
「僕を甘く見てもらっては困りますよ」
朋之はにっこりと微笑む。その口調は妙に自信たっぷりだ。事実、智隼を見抜いたのは、あの会場にいる人々の中で朋之ただ一人だった。
「って、お前が威張るな!」
全然反省の色が見えない朋之に、くぎをさすケン。表情はすっかり元に戻っていた。
「まっ、とにかく、やる事やってからだな。お前には訊きたい事が山ほどあるんだ。覚悟しとけよ!」
ケンは智隼の胸を軽くこづいた。智隼は黙って頷いた。
「それに場所変えないと・・・こんな所で長話になったら土倉さんに迷惑になるからな」
元希が指示を出す。
「そうだな」
ケンは悪戯っぽく笑う。
「俺んトコでいいだろ?もう磨雪の奴は寝てるだろうが、あいつ絶対起きてこないし」
ケンは元希に同意を求める。
「ああ、頼む」
元希は素直に頷いた。
普段『花鳥風月』の打ち合わせや反省会などには、元希のアパートを使っている。だが、今は夜中の時間区分になる。元希の部屋で騒ぐと夜では周りに迷惑がかかるので、ケンはいくらか壁の厚い自分の部屋を提供したのだった。
「そういえば、今週は実華が忙しくってマンションに行っていませんが、座る場所くらいありますよね?」
朋之の指摘がケンに突き刺さる。
「・・・だっ・・・大丈夫!少し片付ければ・・・」
笑いながらごまかすケン。
「ケンさんと兄さんの『少し片付ける』は、一般人の大掃除と同じですからね」
やはり反論が出来ずに、ケンは押し黙って着替えを始めた。朋之も着替えの服を取り出す。一足先に着替えを終えた元希は楽器類の片付けのためにステージに向かった。
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