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第九話 弐
朋之が抱きついた男は、広いつばのついた黒い帽子を深々とかぶっており、顔が全く見えなかった。男は動揺している様子だが、帽子を取る気はないようだ。見かねた朋之が帽子を取ると、見慣れた銀髪が現れた。
その顔は紛れも無い『五十嵐智隼』本人だった。
「おかえり!智隼!」
周囲は狂喜の声が飛び交い大騒ぎだ。
「演奏中だぞ!いきなりステージを飛び出す奴があるか!」
ようやく追いついたケンが朋之に向かって怒鳴り散らす。しかし、ケンの登場により観客席はますますパニックになり、収拾がつかない事態に陥っていた。
そんな中フウはまだ事が飲み込めず、呆然と立ち尽くしている。
なんとかしなければ。と、元希はフウからマイクを奪い取り、大声で叫んだ。
「ケン!朋之!」
ざわついていた辺りが、ピタリと静かになった。観衆と、智隼を含む三人は、揃ってステージ上の元希に振り返る。
「お騒がせして申し訳ありませんでした・・・」
元希はステージから、観客に向かって深々と頭を下げた。
「二人とも戻ってくるんだ!」
人ごみを分け、真っ先にステージに向かって歩き出したのはケンだ。
釈然としない表情だが、元希の言葉に素直に従う。後を追うように、朋之が智隼の腕を掴んだまま歩き出す。観客達も三人のために道をあけた。
ケンは再びステージに上がるが、智隼は一番前の席で足を止めた。
「・・・智隼?」
手を引いている朋之が振り返る。
「元希が呼んだのはケンさんと朋の二人だろ。それに俺は今、金払って来ている客なんだぜ・・・」
何か言いたげな表情の朋之。それは智隼がまた消えてしまうのではないかという不安の表れだったのかもしれない。
「・・・逃げないから。な」
観念したのか、困った表情で智隼は頬をかいた。名残惜しそうだが、朋之は安心したのか智隼の手を離すとステージ上に戻った。
元希はフウにマイクを返した。反射的にフウはマイクを握りなおす。
「歌えるよな・・・フウ」
はっと我に返り、フウは大きく頷いた。元希も頷き返すと、ドラムの元へ戻る。
仕切りなおしは何とか上手くいき、今回のライヴは終らせる事が出来た。観客達もハプニングをそれなりに楽しんだのか、帰りがけに携帯で、今日の出来事を楽しそうに友人に報告している人もいた。
しかし、ライヴ終了後の『花鳥風月』の控え室は重たい空気に包まれていた。
第九話 参へ