第一話 参

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第一話 参





「元希・・・放せってば!元希!」
風弥の訴えを無視して、元希は細い通路を突き進んで行く。何とかして元希の腕を振りほどこうとするが、元希には風弥の腕力など全く歯が立たなかった。
通路の突き当たりに到着すると、元希は目の前の扉に手をかけた。
風弥は思わず目を細めた。薄暗かった通路から、白熱球の照らす世界へと引き出されその眩しさに耐えかねたからだった。
やがて目も慣れ、次第にその部屋の様子が窺えるようになった。そして風弥の目にはとんでもない光景が映り込んだ。
手を伸ばせば届く距離に、『花鳥風月』のベース『美咲ケン』と、シンセサイザーの『野魏朋之』がステージ用の着物を着て風弥を取り囲むように立っているではないか。
「・・・!」
風弥の脳はパンク寸前まで陥っていた。元希とは幼馴染なので仲がいいが、ケンと朋之に関して、風弥は全く関わりが無い。雲の上の存在と言ってもいい程だ。そんな二人に取り囲まれている今の状況で、動揺するなと言うのが無理な話だ。
「・・・へえ、ちっちぇえなぁ・・・」
桃色の着物に、銀色の組紐をちりばめた衣装を身にまとったケンが、珍しげに風弥の頭を撫でる。
「この茶髪マジで地毛なのか?目も少し青いような気がするし・・・」
クオーターが珍しいのか、ケンはマジマジと風弥を観察していた。
ケンの迫力に圧倒されつつ、風弥もチャンスをばかりに、間近で美咲ケンを観察した。元希と同じくらいの背丈。耳のピアス穴は三個ずつあり、一番下の穴にターコイズのピアスを付け、二重瞼に高い鼻、ブリーチした金髪が一際目立っている。細く長い指を風弥の茶色い髪の毛に絡ませ随分と楽しそうだ。
「・・・元希さん、本当に中止にしなくてもいいのですか?」
橙色の着物に、紫の組紐という衣装の裾を掴み、野魏朋之は少し不安げな眼差しで元希を見つめる。
近くから見る朋之は、元希やケンよりもやや小柄だとはいえ、一五〇そこらしかない風弥から見れば十分に迫力があった。切れ長の目元に、肩に着くか着かないか位の長さの黒髪。右の口元にははっきりとしたホクロもある。小さな口は朋之の女性らしい顔つきを強調していた。
「大丈夫、こいつなら・・・風弥なら、きっとやってくれる。俺が保障する!」
風弥には三人が一体何の事を話しているのか全く検討もつかなかった。
「・・・なっ・・・何?ちょっと待てよ!どういう事だ!」
たまらず風弥は口を開いた。
元希は風弥の肩に手を置くと、目線が同じになるように腰を落とした。いつになく真剣な表情の元希の迫力に負け、風弥は押し黙った。
「風弥、お前『花鳥風月』の持ち歌全部歌えるよな」
元希の切迫した瞳が風弥を見据える。
「・・・そうだけど」
風弥はゆっくりと頷いた。元希の様子がいつもと違う、風弥は確実にそれを感じ取っていた。
「今日のライヴ、お前に歌ってもらいたいんだ」
一瞬、風弥の思考は止まった。
「・・・元希・・・今なんて?」
確認するかのように、風弥の口から自然と言葉が出た。
「風弥にヴォーカルをやって欲しいんだ」
元希は落ち着いた口調だった。
「えっ、えぇーっ!俺が『花鳥風月』のヴォーカルを・・・!」
信じられない。と、金魚のように口をパクパクさせる風弥。
「・・・あれ?でも、ヴォーカルって智隼さんだよね?」
興奮しすぎて気がつかなかったが、もうすぐライヴが始まるというのに、部屋の中には『五十嵐智隼』の姿は何処にもなかった。風弥を除く三人は、一瞬顔を強張らせた。
「・・・智隼さんは?智隼さんは何処にいるの?」
「智隼、今日は来れないんだ」
辺りを見回す風弥に対し、重い口調で元希が答える。
「・・・ここに来る途中・・・交通事故に巻き込まれたんだ」
それを聞いたとたん一瞬にして全身の力が一気に抜け落ち、風弥はその場に座り込んだ。
「・・・嘘だろ?」
風弥が自分の耳をこれほど疑ったのは始めての事だった。智隼の事故、あまりのショックに体も思考も何も反応しなくなっていた。
「俺の携帯に智隼からメールが着た。命には別状無いが、結構重症らしい・・・」
元希の言葉が遠くに聞こえた。風弥の意識はどこかへ飛んで行ってしまったようだった。
「・・・智隼の事故に関して、それ以上の事は解からない。でも、俺は今日のライヴを楽しみにしているみんなに、中止なんて言いたくないんだ!頼む、風弥!」
元希は床に座り、頭を押し付けた。
「・・・おい!元希!」
「元希さん!」
二人が元希を止めに入る。
智隼の事故・・・風弥にとって認めたくない事実だった。しかし、いつまでもこんな所でじっとしていては何も変わらない。ライヴの時間は刻々と迫っている。
風弥は決心した。
「曲は昨日と同じだよね」
元希は顔を上げた。三人の視線が風弥に集まる。風弥はまだ震えている足をゆっくりと立たせた。
「・・・俺やるよ!」
風弥は言葉と共に深く頷いた。

 

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