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第一話 六
楽しい時間は過ぎるが早いものと決まっている。この夜のライヴは嵐のように過ぎ去った。
既に日付は変わっていた。
「・・・はい・・・はい・・・本当にすいません。それじゃあ」
元希は携帯の通話を切り、胸ポケットにしまった。
着替えを済ませた元希は、風弥の家に連絡を入れていたのだ。こんな夜中に迷惑かと思った。しかし、風弥はまだ十四歳、来月やっと中学三年生になる。未成年なのだから親に知らせるべきだと考えた。
ついでといってはなんだが、今夜はもう遅いので、風弥を自分のアパートに泊める事も伝えた。電話を受けた美弥は、最初は心配そうな声を出していたが、次第にいつもの口調に戻り、最後には嬉しそうに電話を切った。美弥は元希に絶対の信頼を置いていた。こうなると、元希の責任も重くなる。
ライヴが終ってからもう一時間が経過していた。電話が終ると元希は階段を降り、会場に向かった。そして、客席の中央から今さっきまで自分が立っていたステージを見つめる。
・・・まるで夢か幻を様だった。
同時に、元希は反省もした。自分の勝手で風弥を巻き込んで本当に良かったのか。もっと他の解決策があったかもしれない。
誰も居ない会場で一人溜息をつくと、元希は重い足取りで控え室へと向かった。
控え室では、同じく着替えを済ませた風弥が小さな吐息をたてながら、パイプ椅子の上で眠りこけていた。
ケンは風弥の正面にイスを置き、背もたれに両腕を置いた姿勢で風弥の顔をまじまじと眺めている。
「普通さ・・・神様って、こんなチビ助にあんな声をくれるもんかな・・・」
ケンの脳にフウの歌声が再生された。フウが初めてステージ上で歌った『アナクロニズム』のシャウトが耳に残っている。自然と鳥肌が立つ。
「驚きました。この子の声・・・」
朋之もケンに賛同している様子だ。
視線を風弥に向けつつも、朋之はケンに缶コーヒーを差し出した。缶コーヒーを受け取ると、ケンはタブを開け一口飲んだ。朋之もペットボトルのジュースに口をつけた。
「正直、期待していませんでしたから・・・」
ケンは危うく、口の中のモノを吹き出しそうになった。どうにか飲み込むと、朋之を睨む。
「・・・お前さ・・・たまーに毒吐くよな・・・」
「・・・そうですか?」
朋之は解せない顔のまま、スティック菓子の箱の封を破った。
「解かってないから怖いんだよな・・・」
ケンは心の中で呟いた。
真後ろのドアが開き、元希が入ってきた。
「風弥は?」
ケンは黙って席を立つ。風弥のあどけない寝顔が元希の視界に飛び込んできた。
「弱ったな・・・機材の片付けしなきゃなんないのに・・・」
困り果てた顔で、元希は頭をかいた。撤収時間はとっくに過ぎていた。しかし、ライヴハウスのオーナーの好意により、彼らはこんな時間までライヴの余韻に浸っていたのだった。
「眠らせておきましょう。起こしても、邪魔になると思いますよ」
元希は目を丸くして朋之を見た。
「・・・朋之、お前もう少し言葉選べよ・・・」
元希は深い溜息を漏らした。朋之はきょとんとした顔で菓子をつまんでいる。
どうにかこうにかで、機材をケンのワゴンに積み終わると、ケンは運転席に乗り込んだ。キーを廻しエンジンがかかるとカーステレオからラジオの音楽番組が流れてくる。
「ケンさん、元希さん、お疲れ様です。風弥君にもよろしくお伝えください」
ケンは運転席の窓を開けた。
「お疲れ、朋之。また明日な」
朋之は会釈すると、ヘルメットをかぶり銀色のバイクにまたがった。エンジンをふかし、路地へと消えていく。
「さてと、俺らも行くか!よろしく、運転手さん!」
ワゴンの助手席には元希がちゃっかりと座っていた。その腕には風弥が抱えられている。かなり狭いが、後部座席には機材に占領されている為それしか方法が無かった。
「ったく、元希!お前もいい加減、免許取れよな。俺はタクシーか?」
呆れ顔で文句を言うケン。
「いいじゃん、近いんだし。ついでついで」
元希は子供みたいに笑う。恒例行事のようなものだった。
「免許無いと、後から困るぞ」
「だってさ・・・なんか怖いじゃん?」
「・・・あっそう・・・」
意味不明な元希の発言を放置して、ケンは手順を踏んで車を発進させた。ゆっくりとタイヤは地面を転がり、エンジンは段々と回転数を上げ、スピードに乗っていく。
「これからどうするつもりだ?」
ケンは前を見据えたまま、話を切り出した。
「とにかく、今夜はこのまま家に泊めるよ」
風弥が起きる様子はまるで無い。よほど疲れているのであろう。
三人を乗せた車が、赤信号で止まった。深夜なので、車は他になかった。
「『花鳥風月』の事だよ」
ケンは真剣な表情で元希を見つめた。
「・・・・・・どうするか・・・」
「どうするかって!元希!」
信号が青に変わる。再び車は動き出す。
「決めるのは『俺』じゃなくて『俺達』だろ!」
元希はにやりと笑った。
ケンは目を丸くする。暫くしてから、元希と同じように笑った。
「・・・だな・・・」
「・・・だろ・・・」
車は快調に闇の中を走り続けた。
風弥は元希の腕の中で幸せそうに眠っている。
『・・・良かった』
きっと、そう思いながら・・・。
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