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第一話 伍
会場はいい雰囲気だった。しかし、ケンは焦り始めていた。
予定の時間をとっくに過ぎている、一曲で引っぱるのもそろそろ限界だ。
「・・・何やってんだよ・・・あいつら・・・」
ケンが心の中で呟いた時だった。苦し紛れに右手の舞台袖に視線を向けると、元希達が立っていた。
元希がほんの少し頷いた。それが合図になり、ケンは演奏を盛り上げる。
音楽に合わせ、朋之、元希の順にステージに登場すると、歓声が津波のように押し寄せた。
ケンがタイミングよく演奏を停止するが、歓声は続いている。
「皆さん、お待たせしました!」
朋之がマイクで観客に呼びかけると、黄色い声援が返って来た。柔らかな微笑みを観客に向けると朋之は元希にマイクを渡し、自分の定位置であるシンセサイザーへと向かった。
「今日はみんなに謝らなくちゃいけない事がある」
元希が会場に呼びかけると、歓声はどよめきに変わった。
「智隼がここに来る途中、事故にあったらしい」
どよめきは益々大きい物となった。顔から血の気が引き、今にも倒れそうな表情の女の子さえいる。
「詳しい事は俺達にもわからない。だから俺達、今日のライヴは中止にしようと考えたんだ・・・」
不満、文句、溜息が会場のあちらこちらから聞こえてくる。ケンと朋之は心配そうに元希に視線を向けるが、元希には予想通りの反応だったらしい。
元希は冷静に次の言葉を続けた。
「だけど、折角ここまで足を運んでくれたみんなをそのまま帰すのは、俺としても残念だし申し訳ない。そこで、今回はこいつにヴォーカルを頼んだ!フウ!」
元希が呼んでいる。
フウは戸惑った。胸に当てている拳から、異常なくらいの胸の鼓動が伝わってくる。
このステージの空気を自分一人が出る事で、台無しにしてしまうのではないか。極度の緊張で体が石のように硬くなっていた。
しかし、今更後には引けない。時間が無い。着物の裾を引きずりながら、フウはスポットライトの光の方向へと走った。
フウがステージに現れた瞬間、歓声は止みあたりが静まり返った。
静寂はやがてどよめきへと変わる。
「・・・誰だ?あいつ・・・」
「何?智隼の衣装なんか着て・・・」
そんな声が会場中から聞こえてきた。ステージの上には智隼とは似ても似つかない、小柄な少年が立っているのだから。
「・・・あっ・・・あの、オレ・・・・」
上手く言いたい事が言葉にならない。観客からの凍りつくような冷たい眼差しが、フウに一斉に襲いかかる。
フウが場の空気に押しつぶされそうになった時、元希がドラムから離れ、ステージの一番前に突っ立っているフウよりもさらに一歩前に立った。
「・・・文句なら、こいつの・・・フウの歌を聴いてからにしてくれ!」
元希の言葉に観客が静まりかえった。少し落ち着いてから元希は自分の位置に戻る。
元希は帰り際にフウの肩を叩いた。フウは観客の視線から開放された。
合図の後、元希がドラムを叩き出す。
ケンも朋之も、ドラムのリズムに乗って演奏を開始した。智隼のパートと二人分の演奏。負担が大きいはずの朋之は平然とした顔で、メロディーを奏でる。あの自信は本物だったのだ。
『アナクロニズム』の前奏が会場に響く。フウは戸惑った、音を外したらどうしよう。フウは動揺したまま横目で元希を見た。元希もフウを見つめている。
目が合った瞬間、元希の瞳はフウに訴えていた。
『歌え!』
体が自然に動いた。強く強くマイクを握り大きく息を吸うと、フウは無意識に全くのアドリブで、歌詞に無いシャウトを腹の底から絞り出した。
会場全体の空気がフウの叫び声で振動する。あまりの迫力に観衆の中には耳を塞ぐ者さえ出た程だった。
日本人の傾向として 集団行動が好きって ホント当たってる
『誰々と一緒だから』とか『みんながやってるから』とか
そうやって雪だるま式に飲み込まれていくんだ
TVとか雑誌がもてはやして マジ悪循環
この歌の作詞は智隼だ。昨晩、ここで歌った智隼の姿を鮮明に再生しながらフウは勢いに任せて歌い続けた。
『おくれてる』『そんな事も知らないの?』『今流行りだよ』と
ミンナは口を出してくるけど オレはオレ! アンタはアンタ!
結局皆一個人 ほっといてくれ!
オレは自由気ままに突き進んで行くまでだ!
いつもと同じ旋律。
そして観衆。
違うのは・・・自分が居る場所。
憧れていたステージ、決して足を踏み入れないと思っていた場所に、今自分が立っている。信じられない。
時代錯誤?大歓迎さ!
アナログ人間?構わないぜ!
時代遅れ?気にするもんか!
座右の銘は going my way!
フウは無心に歌った。
時間の感覚がすっ飛んで、いつの間にか最後の歌詞まで到達していた。
今日もオレはひた走る
バンバンザイだね☆
一斉に演奏が止まり曲が終わった。荒い息遣いのままフウは顔を観客席の方に向けた。しかし、会場は沈黙しきっている。
やっぱり、自分の歌なんて・・・。フウがマイクを離そうとした時だった。
オーディエンスが、今までに無い大きな歓声に沸いた。
「いいぞー!」
「やるな!」
「もっと聴かせてー!」
会場のあちらこちらからフウに向けての声援が飛び交った。答えは出た。観客はフウを受け入れたのだ。
フウの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。歓喜で体が震えていた。
「・・・ありがとう・・・」
フウは再びマイクを握り締める。
「オレ『フウ』って言います!改めて、今日はよろしくお願いします!」
深々と一礼すると観客から『フウ』コールが起こった。フウは笑いながら手を振り、声援に答える。
「・・・今日の主役、『フウ』で決まりみたいですね」
朋之が楽しそうにケンに話かけた。
「ちぇっ、俺だってがんばったのに・・・」
ケンがつまらなそうに頬を膨らませる。
「えーっ、僕だって二人分演奏してるんですよ!みんながんばっていますって!元希さんだって、フウ君だって・・・」
「はいはい、わかってるって!」
ケンと朋之がそんな会話を交わしている中、元希は極上の笑みを浮かべていた。
「次、行こう!みんな用意はいい?」
観衆が声を上げる。
「『After noon』!」
フウの曲紹介と共に演奏が再開する。
ここら辺でどうだろう? 一息入れようじゃないか
息抜きする事も大切だよ さぁ座って何か飲むかい?
そんなにカタくならないで ゆっくりしようよ
周りを気にすることは無い 大切な時間なのだから
自然と観衆の体がリズムに乗り、揺れ出した。ステージと客席の一体感、人々は大いに盛り上がった。
第一話 六へ