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第八話 壱
放課後の進路指導室で、広田は苦笑いをうかべていた。
「・・・『とりあえず高校進学』って・・・『とりあえず』ってのはなんだ、根本?」
「とりあえず、です。俺まだ高校全然わからないので」
広田の手には今日の朝、風弥から提出された、進路希望調査のプリントが握られていた。
早い話が個人面談である。今日は金曜日なので、来週の月曜日という提出期限まで、若干の余裕がある。広田は風弥に、書き直してくるように。と、注意するつもりだった。
だが、目の前にいる風弥はふざけているわけではなく、大真面目だった。そのためなんと言葉を返したらいいのか、わからなくなっていたのだ。
広田は大きくため息をつくと、風弥の持ってきたプリントを机の上に置いた。
「・・・わかったよ。今は『とりあえず』良しって事にしてやろう。そのかわり、夏休みにはキチンと高校見学行ってこいよ!」
お手上げといった表情で広田は煙草に火をつけた。一方の風弥は、満面の笑みだった。
「はい」
もやもやと心の中に溜まっていたものがすっかり消え去ったように感じていたからだ。
前ほど進路資料に拒否反応を起さなくなったし、少しずつだが両親にも相談する気も出てきた。具体的な根拠としては弱いが、とにかく大丈夫と思えるようになった。
「それじゃあ、失礼します」
風弥は立ち上がり一礼すると、進路指導室の扉に手をかけた。
「あっ、ちょっと待て根本!」
ドアを半分程開いたところで、広田が再び声をかける。風弥は広田の方に振り返った。
「前々から訊こうと思っていたんだがな」
「・・・なんですか、先生?」
嫌な予感が走った。
「お前最近部活休んでいるようだが、塾でも行き始めたのか?」
いつかは突っ込まれる事だとわかっていたが、表情が凍る。
風弥は『花鳥風月』の打ち合わせ等で、三年生になってからほぼ週に一回の割合で部活を休んでいた。特にライヴの日が迫ってくると、宣伝活動でその週丸々休むなんてこともあった。
それでも、風弥の元に吹奏楽部の生徒達からの反感は来ない。出られる時は休憩時間もとらず、他の生徒の何倍も練習するし、曲を合わせる時も足を引っ張る事がないからだった。
しかし、今ここで広田に、学校にバンドの事がバレたら、確実に騒ぎになる。そして、元希達に迷惑をかけることになる。
「・・・塾じゃありません。その・・・元希に勉強教わっているんです」
返答に悩んだ挙句の、苦し紛れの大嘘だった。周囲の人間から、自分の感情がとにかく顔に出やすいタイプなのだという事を学習した風弥は、努めて普段通りを装う。
「・・・火鳥に・・・?」
広田は風弥の意外な返答に、目を丸くした。風弥は何度も頷いた。
「ダメですか・・・?」
風弥は嘘をつく罪悪感で緊張していた。
「そうか・・・いや・・・別に悪いとは言わん。根本が考えてやってる事なんだからな」
広田は煙草を、銀色の灰皿に押し付けて、火を消した。
「それじゃあ来週の中間テストはバッチリだな!」
今度は風弥の目が丸くなった。
そういえば来週の木曜日はテストがあると聞いた気がした。今週の授業は自習が多かったし、範囲も言っていた。しかし、風弥は進路の事で頭が一杯で、中間テストの事をキレイさっぱり忘れ去っていたのだった。
「そっ・・・そうですね」
正直テスト勉強なんて何もしていない。三年の一学期の中間、期末は内申書にもひびく。果ては受験にも影響を及ぼすとても大切なテストなのだ。
「その成果が出るようにがんばれよ!」
「はい・・・失礼しました」
風弥は深く頭を下げると、進路指導室を後にした。動揺しきって背中に変な汗をかいていた。進路ほど遠く大きな問題ではないが、風弥はため息をつくと、思い足取りで音楽室に向かった。
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