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第八話 伍
「朋之・・・今なんて・・・」
メニューを机に叩きつけ、ケンが身を乗り出した。
「昨日僕・・・その、風弥君と一緒に買った京都のお土産を、渡そうと思って病院に行ったんです。そしたら、受付で『五十嵐智隼さんは、先月退院なされました』って言われちゃったんですよ!」
風弥は呆然と口を開けていた。驚いているのは元希とケンも一緒だった。
「勝手ですよね。また連絡も無しに・・・」
不満をぶつける事が出来たおかげか、朋之の表情が幾分和らいだ。しかし、今度は元希が険しい顔つきになっていた。
「・・・どうしたの?元希・・・」
恐る恐る風弥は問いかける。元希は口元に手を当てたまま、黙り込んでいた。
「・・・今の朋之の話、変だとは思わないか?」
風弥とケンは一斉に顔を見合わせた。
「僕、嘘なんか言ってませんよ!」
「いや、そういう意味じゃなくて・・・智隼の事だよ」
「・・・智隼の?」
智隼の名前が出たとたん、朋之は再び真剣な表情に変わった。
「智隼から、俺の所に連絡がきたのは、事故った時と入院の知らせ。そして、俺が持ちかけた『フウ』の加入の話の返事だけだ。ケガの程度はわからないが、いくらなんでも二ヶ月も入院しているなんておかしいと思ったんだ・・・」
再び、沈黙が流れる。
「なんかさ・・・」
元希が独り言のように呟いた。
「あいつ・・・俺達を避けているような感じがしないか?」
・・・それはここにいる全員の心の内だったのかもしれない。
木製のテーブル上には、ミックスサンドの大皿が一つと、アイスコーヒー。そしてアイスレモンティーが運ばれていた。
急に店が混みはじめ、元希が厨房に戻ってしまうと、自然とこの話しは終止符が打たれた。朋之はバイトのために二十分程前に帰り、今席にいるのは風弥とケンの二人だけだった。
空腹だったが、風弥はうつむいたままで、サンドイッチに手をつけようとはしない。
「・・・どうした?腹へってるんじゃなかったのか?」
アイスコーヒーにシロップを注ぎながら、不思議そうにケンが訊ねた。
「・・・あの・・・ケンさん・・・」
「なんだよ、改まって」
「智隼さんって、どういう人なんですか?」
口調から、風弥がどれくらい切実なのかが痛いほど伝わってくる。ケンは黙ってストローの封を切り、コーヒーをかき混ぜた。
「俺が知っているのは、ステージにいる智隼さんだけで・・・さっきの話聞いてても、イマイチイメージ湧かなくって・・・」
風弥が思っている智隼像とは、歌が上手くて、ギターも出来て、一言で言い表すなら『カッコイイ』だった。
尊敬の対象。それ以外の何でもなかった。
「・・・うーん」
困り果てた様子でケンはうなった。
「・・・そうだな・・・なんて言えばいいんだ?」
よほど難しいのか、ケンはストローから手を離し、腕を組んで黙り込んでしまった。
「あっ・・・あのケンさん?」
ここまで悩まれるとは思っていなかったので、風弥は慌てて質問を変えた。
「智隼さんのお見舞いって誰か行ったんですか?」
「あっ、それは行ってない」
拍子抜けするほど即答だった。呆気に取られた風弥は瞬きをしてからさらに質問を続けた。
「えっ、どうしてですか?普通はお見舞いに行くんじゃないですか?」
風弥には見舞いに行った経験は無いが、大概のドラマで目にするシーンを参考にすると、そういう結論に達したのだった。
「・・・あいつ・・・智隼はそういうの好きじゃないんだよ。他人に心配されるのを嫌っているっていうか・・・」
ケンはどことなく寂しそうな表情を浮かべていた。先刻の質問の答えも含まれていたが、別のことを考えていたらしく、気づいていない。
「きっと変な責任感背負っているんだよな。他人に迷惑かけたくないって・・・」
どこか焦点の合わない目で再びコーヒーをかき混ぜる。
「だから・・・それをわかっているから、俺や元希、朋之も見舞いはあえて避けてたんだ。でも、朋之は一向に連絡をよこさないからしびれを切らしたんだろうな」
それは、朋之の性格を考えれば、風弥にも容易に想像がつく事だった。そして、朋之がずっと待ち耐えてきた事も。
「俺達はあいつから、動いてくれるのを・・・ずっと待ってたんだ・・・」
ケンはため息をついて間を空けた。
待っていた。その言葉が風弥の胸に突き刺さった。
『花鳥風月』に大きな亀裂が走っている。それは、何かの拍子で粉々に砕け散ってしまいそうな程、危なっかしくもろい物に思えた。
「ったく、あのヤロー何考えてるんだか・・・とっとと、出て来いよな。智隼」
ケンの一言には、様々な感情が入り乱れている。混沌とした台詞はケンから笑顔を奪い去っていた。
五十嵐智隼が姿を表さない事には何も始まらない。
僅かでも動く様子のない、暗い重たい空気がただそこに存在していた。
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