第五話 六

書庫目次に戻る

第一部目次に戻る

第五話 伍に戻る




第五話 六


 

元希は舞台袖に通じる扉の前で立ち止まった。膳を片手に元希は扉を三回叩く。
内側から扉が開くと、中からのっそりと磨雪が顔を出した。
「こっち・・・」
磨雪は小さく呟くと、舞台袖から元希を控え室へと案内した。
襖が近づくにつれて、何やら騒がしい声が聞こえてくる。両手の塞がっている元希に代わって、磨雪が襖を引いた。
「かわいいどすなぁ」
「ほんにぃ・・・ほんまもんの舞妓みたいどすえ・・・」
八畳の部屋の中では五、六人程の人だかりが出来ていた。皆、仕度を済ませた芸妓達だ。その中央には、鮮やかな真紅の衣を纏った小柄な少女が立っていた。どうしたらいいか解からず困惑気味の様子だ。
「・・・元希!」
少女は元希の存在に気づき、喜び勇んで駆け寄る。
元希の思考が一瞬止まった。目の悪い元希は、はっきりと少女の姿がわからなかった。だが声を聞いたとたん、すぐにその少女の正体が風弥だと見破ったのだった。
風弥は顔から首筋まで白粉を塗りたくられて、唇には紅がのっていた。さらに髷の鬘を被り、藤の簪を刺した姿はどこからどう見ても少女そのものだった。
「・・・・・・」
元希は風弥の姿に返す言葉が見当たらなかった。膳を抱えたまま呆然と立ち尽くしている。
「元希!」
風弥は今一度元希の名を呼ぶ。我に返った元希は慌てて風弥に目線を合わせた。
「あっ・・・なんだ?風弥」
目の前にいるこの少女が、自分の知っている『根本風弥』であるのを再確認するように、元希は名前を付け加えた。
「悠介達どうだった?俺の事なんか言ってた?」
そんなことお構いなしで風弥が質問する。膳を持ち帰ったのはただの口実だった。
「・・・お前の事心配していた。大丈夫だからって言ったら、安心したみたいだった・・・」
風弥はそっと胸を撫で下ろした。元希の顔も自然と緩む。
「ところで、結構似合ってるじゃん。その格好」
隙を突いて、元希が冷やかす。とたんに風弥の耳が真っ赤に染まった。白粉で隠れてはいるがおそらく顔も同じ事になっているだろう。
「やめろよ!こっちは死ぬ程恥ずかしいんだぞ!」
風弥が袖で顔を隠して怒鳴る。脇では芸妓達が笑い声を漏らしながら楽しそうに傍観していた。
「チビ助ーっ、そっちは仕度できたか?」
隣の襖からひょっこりとケンが姿を現した。ケンは風弥の舞妓姿を見たとたん、さっきの仕返しとばかりに笑い出した。風弥はますます機嫌を損ねるばかりである。
「笑うな!」
両腕を振り上げ大声で風弥が叫ぶ。
「バカ、大声出すな!向こうに聞こえちまうだろ!」
しまったと風弥は口を覆う。襖一枚を挟んで、その先は大広間なのだ。ケンは呆れたという表情で溜息をついた。
「そう言うケンさんだって・・・」
袖の下からくぐもった声の文句が聞こえてきた。腹を抱えて笑っているケン自身も、Tシャツとジーンズの上に女物の着物を羽織るというなんとも奇抜な格好をしていたので、風弥は反撃を試みたのだが、
「やりあっている時間は無い。そろそろ行くぞ!」
と、あっさりとケンに流されてしまった。筝を担いで舞台袖に向かうケンの後を、風弥は仕方なくついて行く。
「歌詞、間違えるなよ!」
「大丈夫だって!」
周りから見れば緊張など全く感じていないような態度の風弥だが、心臓はいつ破裂してもいいくらいに大きく高鳴っていた。
「風弥!ケン!」
突然元希が呼び止め、二人が振り返る。予期せぬ行動に風弥の心臓の鼓動は限界に達しようとしていた。
「・・・がんばれよ!」
元希の思い全てが、この一言に詰まっていた。そして風弥に幾分かの安心感を与えた。

二人は大きく頷くと舞台へと向かった。


第五話 七へ